「猫」を知らないと、「猫」は好きになれないよね
今週のお題「ねこ」
猫・・・・猫か。
猫派か犬派かという論争は人類が始まった時からあるんじゃないか?と思う。
実は「猫派?犬派?」と聞かれてもあんまりピンと来ない。そういう人いない?
猫・・・かわいいよね・・・
犬・・・かわいいよね・・・
って感じ。実家には犬は多い時で2匹いました。
でも推しにつけるなら圧倒的に猫耳の方が可愛いんだよなあ
形が三角でちょうどいいからかもしれない。
人間が可愛いと思う構造になってそうというか、あざとい?というか。
「猫」っていう存在も全世界共通の「可愛い」っていう認識かつ言語なのかなと思う。猫オリンピック開催したら楽しそう。中国かどっかのアジア圏内では食べるらしいけど。
学生時代、国語の教科書を読むのがとても好きで
配られたらすぐ読んでたんですが、そこで忘れられないのが
「共通認識の話について」書いた文章でした。
タイトルも作者も思い出せないけど、
「あなたの感情を他人にも求める時、そこには同じ土台が必要とされる。」
という感じの文章が10Pぐらいあった。ような。
まだ教科書に載っているのかな。多分高校で習った文章で、
自分で読んだ時は何言ってんだこいつ状態だったんですけど
現国の先生が「君が好きな本を好きになるには、まずこの本を読んでいないといけない」って教えてくれてストンと自分の中に落ちた。
大阪での普通が、東京では普通ではないように。
あなたの普通を、私の普通とするには土台が同じでなければならない。
昔、友達に「お前おもんないから黙っとき」って言われたので
「じゃあ『おもろい』って何?この話どうやって言ったら面白いの?」ってガチで返したことあるんですよ。喧嘩腰やと思われて後輩に仲裁に入られたんですけど、本気で疑問に思ってて「何やろうな」って今でも気になってる。
でも彼等の中ではそれが「共通認識」で「当たり前」なんですよね。「わからへんの?」「空気読めない」ってなるんですよね。
私は君たちの「おもろい」について具体的に言葉にして教えて欲しかったし、対等に話がしたかった。
ただ今考えると、完全にこれ甘えだなと思います。
その空気や話し方やらを学ぶために義務教育で集団生活をしていたのであって、彼らはそこで怠らず学んで「共通認識」を手に入れたのであって。
自分でそう思ったなら「どうすれば面白いのか」「どう話せばいいのか」を自分で学ぶべきで、他人から教わるようなものではないんだと。
毎回友達のSNSとか話し方とかを観察して、
「ああ 今は こういう 話し方が 求められてるんだな 」
「こうやって言ったら嫌われない」
とか考えて投稿してしまうよね。SNSめんどくさ〜い!でも好き!
みんながみんな、少しでもそうなんだとしたら
発祥は一体誰なんでしょうね。
あ〜〜〜〜そんなこと考えずに根明リア充になりたかった・・・・
以上、猫の話から「共通認識」についてでした。
また文章読みたいな〜タイトルなんだったかな・・・「1億光年の孤独」の前か、後に教えてもらったような記憶があります。知り合いの国語の先生に聞いてみようと思います。「パン派?米派?」なら「どっちも好き!」って答えられるのにね