私はいい人ではない話

 

#チームワークを語れ!

 

他人に期待をしないこと。がチームワークの肝だと思う。

明るく振る舞うのが得意な根暗なので人からは「しっかり」してそうだの、

「運動できそう」だの「はっきり」してるだのよく言われるが、

残念ながら根っからの明るい人ではない。服装、化粧、動作、笑い方、顔の動かし方、正直、意識して動いている。他人からよく思われるにはどうしたらいいか、自己啓発本をめちゃめちゃ呼んでいる。「気配り女子」みたいな本も買った。この「しっかり」しているように見せる技は長くは続かないので、途中で電池が切れたように怖くなって誰とも喋りたくなくなる時が来る。長く続けようとすると本来の「サボり」癖のある自分がググッと顔を出す。

 

「もう無理だよ」

 

そう思って私は銀行をやめたのだ。

頑張って作ったぶんふだけ「期待」をされて、期待に押しつぶされた。

社内で全く話せなくなった。銀行というところは、根明の巣窟であると前に友達と話したことがある。

 

ねえ根明な人ってなんなんだろう、どんな風に育てばそんなふうになれたんだろう。

漫画を読まなければ?アニメを見なければ?ファッション雑誌を中高で読んでれば?運動部に入ってれば?私はそんなふうになれたのだろうか。

ちゃんと小さい頃から家事を手伝っていれば、母に甘やかされなければ、長女でなければ、お笑い番組を見ていれば、「声がキモい」といじめられることも、空気を読んで話すことも、この人は今何を考えてどうして私に声をかけたんだろう、私にどう動いて欲しいんだろう、何を言って欲しいんだろうと邪推する癖も、嫌われているのかなとなんとなく1日の中で辛くなることも、スケジュール管理や整理整頓が下手で他人に迷惑をかけることもなかったのだろうか。

しかしそれは果たして私なのだろうか。

 

本が大好きで、本を書く人になりたいと思っていた。

絵が大好きで、絵を描く人になりたいと思っていた。

演じることがたのしくて、演技をする人になりたいと思っていた。

いつだって自分と違う何かになりたかった。

そんな私は社会にとって害悪だったのだろうか。

 

「普通」になれればいいなとずっと思っていた。

平均、理想のモデルケース、たとえ話で使われるような生き物に。

人は天秤にかけて比べないと生きていけない生き物だ。

私の「好き」は、あなたの「好き」と比較される。「普通」が「普通ではない」。

流行を追わず、一つのものをずーっと好きでいてはいけないのか。きらきらひかるビルを星空のようだと言ってはいけないのか。「笑ってはいけない」が嫌いではいけないのか、テレビを見ないことが、「ダウンタウン」が嫌いなことがそんなにダメなのか?

みんなが好きなものを嫌いと言ってはいけないのか。同一化するな、私の大事な宝物を土足で踏み荒らして消えた友人たち。立ち直れず好きを隠すようになった青春時代。初恋、失恋、出会い、別れ、きっと誰だってこんな経験があるんだろう。

 

私は「呪い」をかけられている。自分が否定されたり、逆に肯定されて落とされた時からずっと、私が好きだったものを好きな人、なりたかったものになった人、なろうとしている人に対して同じ呪いを振りまきたくなる「呪い」。なんとか口を噤むことはできるようになったけど、 もう多分一生解けない。みんなはどうやってこの呪いを解いたんだろう。

 

私は私の作るもので「人の心を動かしたい」と今も思う。

でも君はそうではないかもしれない。だけど自分の一番大事な「感性」を踏みにじらないでくれるなら、誰とだって仲良くできるとそう思ってる。

尊敬しないで、軽蔑しないで、嫌わないで、すごいって言わないで、

私の感情を上書きしないで。消さないで。ただ聞いて。

 

 

だから私には東京が丁度いい。会話で返事を考える時間をくれる。

会話をしなくても許してくれる、静寂をくれる。

そんな気がしているだけかもしれないけど。

 

変わりたいって日々思ってる。

踏み込まないから踏み込まないでねと

ボーダーラインを引いたところからコミュニケーションを始めようよ。

ゆっくりしょうもない話をしようよ、ご飯何にしようかなあとか、

おはよう、楽しかったとか、嬉しかったとか、美味しかったとか、

好きなものの話をしよう。

 

きっとそういう事の積み重ねが一緒に何かを作る事につながるはずだと、思うのだ。 

挨拶をするとか、声をかけるとか、そういうしょーも無い事が世界を変える。

 

心の整理、それでも人と関わって生きて生きたいと思う。

浅ましいね。課題やろう。

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